あれ?

ショウシャ

思っていたこと

親が死んだら基本泣くじゃないですか人って。でも親って愛も憎しみも抱く存在ですよね。最後なんで泣くんでしょうか?特段 虐待やら浮気やらそういった顕著なマイナス行動を取ってきた親でなくても、あの発言あの行動は許せないとかありますよね、自分の価値観があれば。
人間関係って結局 自分にとって相手の好きなところ良いところ、嫌いなところ悪いところがあってどちらも抱えつつ それらの割合で、自分の基準をもって判断して付き合ってくもので、それは親でも同じで。親と子の関係でも絶対生まれるし分かり合えない部分って。親と子だからこそ。それはいいんですよ。

問題は最後の別れの時なんで悲しくて泣くんですかっていう… なんでプラスの存在として扱うの?プラスマイナスじゃん。親。いや、いい思い出、親が死んだ時のこと考えたらゾッとすることも、いくらでもあるんです。でもその、数年前の私が、親に言われたことややられたことで、ああ、これはもう…ダメだ…と閉じた瞬間や傷ついた瞬間があって(理解しあえない部分があると気付いた時)、もちろん今はそれを引きずってはいないけど(その感情のまま生きていないけど)、でもそういう自分はいたわけじゃないですか。
親を許容できない自分が、確実にいつかの私として存在していたわけじゃないですか。
最後の日に私が お母さんお父さんありがとう親不孝でごめんねと泣いてしまったら、その、いつか存在していた私はどうなるんですか? そのいつかの私は間違っていたことになるんですか。親の最期の瞬間の、その近辺で抱いてた感情を 私のそれまでの人生の総意として、別れの時に送るんですか。
それまでの私は親に対してさまざまな場面でさまざまな感情を抱いてきたのに最後には忘れて 感動的に別れるんですか。酔ってませんかそれ。泣くために泣いてるっていうか…なんていうのかなあ、マジじゃねえじゃんっていう。
マジの感情って本当に複雑で入り乱れてて、結果行動に起こせないんじゃないですか。嬉しいも悲しいも寂しいも楽しいも幸も不幸もあっていろんなベクトルがありすぎて逆に静止しちゃうんじゃない?って、それが正解じゃない?って思っているんですけど。

親が死んで、はい振り返り、この人のこういうところが好きだったありがとう、これは許せなかった傷ついた、はい。総括。
でいいんじゃないですか。

うん…なんかまとまってないですけど。私も書いててぐるぐるになってしまってわからなくなってきてるとこもあるんですけど。
とにかく気になってるのは あらゆることに過去からの時間の積み重ねが存在していて今発現しているのに、なぜ、それを忘れて最後とる行動を それ にしちゃうんだって。
わたしはいつかのわたしを忘れたくないんです わたしはいつか、そのわたしだったのに

成長するとか 経験で変わるとか そういうことじゃなくて… 少なくとも自我が芽生えててその時はその時で自分の生き方を定めていて そこで親に傷ついて  
その先、私が変わったら、その時の自分は間違っていたことになるのかな…
わたしはそれを飲み込めない。

てことで

もちろん、他人の人生なんてわからないので、泣くことを否定したいわけじゃないです。ただわたしの、飲み込めないことってだけで


でもここまで書いて思ったんですけど葬式で泣いてる人って死んだ人のこと その命や人生を想って泣いてるんですかね。そうなると結局わたしは自分のことしか考えてないクズなんでしょうか。ハハー

わたしはわたしで手一杯なのにな