あれ?

ショウシャ

父親

父親があまり好きではない。思春期の領域ではない。別にパンツは一緒に洗濯されても構わない。ただ父親があまり好きではない。

 
父親は昔から一貫して、俺がこの家を仕切ってんねんぞという姿勢を崩さないし、俺が正しいから俺を尊重しろという気持ちが根底にあるまま生きている。
 
幼少期から今でも私の見たい番組は基本的にくだらない判定をされているし、なんでか覚えてないけどめちゃくちゃ怒られてランドセルがぶん投げられたせいでランドセルの蓋がベキベキになってしまったし、夜ご飯の時私が私の分ご飯をついで食べていたらなんで俺の分をつがないんだと言ってブチ切れて(別に私はご飯つぐ担当ではなかった)そのまま自分の仕事部屋へ帰りその途中壁を殴って穴を開けたし、クリスマスプレゼントを母親が買ってくれるというのでミクの日感謝祭のDVDをネットで注文するのを父親にやってもらい(母親はネットに疎いから)後日届いてから父親に DVDどうなった?と聞かれ ちゃんと届いたよ! と言ったら数十秒後に 届いたよって何だ、ありがとうと言えよ俺が注文してやったんだからとキレられた(金を払ったのは依然として母親)。こんなしょうもないようなことで父親のクソさを感じ、嫌いになっていくばかりだった。(ちなみに父親はまっっったく仕事の来ないフリーのデザイナーって感じなので家庭の生計を立てているわけではない)
しかもこれらは人に言っても、その程度で嫌うって…と言われそうな気もするため愚痴でストレスフリーになることも叶わず、長い時間自分の胸の中で小さなモヤっと達がこねくり回され混ぜ合わされてピザ生地みたいになっている。黒いピザ生地
 
 
母親に対してありがとうを言うこともないし、家の中のことをしたことがないから母親が具合悪くて寝込んでいる時に自分で風呂をためることもできない。(ふろ自動 というボタンを押すだけなのにそんなことも知らなかった)本当にそんな父親の態度が嫌だったから私は私で必死に お前が嫌いだ という態度を表面に出した、ほとんど使命感に追われていた。でも私が、お前が嫌いだという態度を表明しようとも父親は自分の何が嫌われているのかなんて気付かないし思いもよらないし、ますます私が生意気だという判断を下されめちゃくちゃ怒られる、の悪循環だった。
 
 
基本的に父親が主体となって何かをやる時は「お前達のためにやってるんだ」という意識が全く抜けないので、自分が思っていた反応が私から返ってこないと、これまた「お前のためにやってるんだ」と言ってキレだす。
 
最初から人の見返りを求めて行動するのはもう終わりじゃないか?終わりの方の人間。見返りのために何かをするならもう何もしないでくれ。私は不条理が許せないもんだから(占いにまでそう書いてあるレベルで)この人を許容することがほぼ不可能なのだ。
 
こんな思い出にまぎれて1つだけいい思い出がある。
私が小1くらいのある日、母親が用事で出払っている夜があった。その日父親は卵とサイコロステーキを買ってきて、あらかじめ母親によって作られていたチャーハンに 薄くビリビリに焼いた卵とサイコロステーキをのせオムライスを作ってくれた。フライパンとフライ返しの使い方の異様なまでのぎこちなさ。それを真横で見ていた。下手くそだったけどまあ、美味しかった。
 
でもそんな思い出も孤立して少し離れた場所に立っていて、私の周りには常に嫌な思い出がたくさんまとわりついている。だからいい思い出を見つめ続けることもできない。それがなんとも悲しく、やるせなくて、いつも心の中でうなだれてしまう。
 
こないだも書いたのだが、家族であっても理解しあえない部分がある。家族はいつも自分の味方であると盲信していた私はそれに気づいた時本当に衝撃だった。でもそうなのだ。
私は多分この人の死に際泣かないだろう。悲しさも虚しさもあっても、そこに確実に嬉しさがあるから。そんな自分を想像してまたやるせなくなる。
 
 
こんな気持ちでいたくない。黒ピザもそろそろ焼こう。まとわりつく嫌な記憶を必死にかき分け、あそこにいる唯一のいい思い出を見つめようとする。
 
 
でも未だ上手くできない。